History
大田区三大邸宅街の中でも、
独自の道を歩んできた「久が原」。
田園調布や山王と並び、大田区の三大邸宅街の一つに数えられる「久が原」。有史より遥か以前から人に選ばれてきたこの街には、暮らしの舞台としての色褪せない美質が息づいています。かつて田園都市株式会社によって開発された田園調布とも、景勝地から別荘地・住宅地へ移り変わった山王とも似ていない独自の歴史を持つ街。その背景には、この地に魅せられた人々の想いに導かれた、型にはまらない自主自立の歩みがありました。
「個」の美意識を集めて拓かれ、
「個性」の煌めきを憧憬に変えた街。
大正11年、久が原に現在の東急池上線が開通します。やがて大正15年には、池上西部耕地整理事業と呼ばれる大規模な街づくりがスタート。約7m幅の道路が碁盤目状に整備された高台は、関東大震災を契機に多くの人々の移転を促すこととなります。そして、多くの分譲住宅街が誕生した時代にあって、久が原では個々の美意識によって風景が形づくられていくことに。今も周辺には著名な建築家が手がけた住宅が残されていますが、久が原は悠然とした街並みの中に多様な個性を抱きながら、三大邸宅街への歩みを進めてきたのです。