Concept

衛星写真

History

大田区三大邸宅街の中でも、
独自の道を歩んできた「久が原」。

田園調布や山王と並び、大田区の三大邸宅街の一つに数えられる「久が原」。有史より遥か以前から人に選ばれてきたこの街には、暮らしの舞台としての色褪せない美質が息づいています。かつて田園都市株式会社によって開発された田園調布とも、景勝地から別荘地・住宅地へ移り変わった山王とも似ていない独自の歴史を持つ街。その背景には、この地に魅せられた人々の想いに導かれた、型にはまらない自主自立の歩みがありました。

現地周辺の街並

「個」の美意識を集めて拓かれ、
「個性」の煌めきを憧憬に変えた街。

大正11年、久が原に現在の東急池上線が開通します。やがて大正15年には、池上西部耕地整理事業と呼ばれる大規模な街づくりがスタート。約7m幅の道路が碁盤目状に整備された高台は、関東大震災を契機に多くの人々の移転を促すこととなります。そして、多くの分譲住宅街が誕生した時代にあって、久が原では個々の美意識によって風景が形づくられていくことに。今も周辺には著名な建築家が手がけた住宅が残されていますが、久が原は悠然とした街並みの中に多様な個性を抱きながら、三大邸宅街への歩みを進めてきたのです。

■大東京区分図三十五区之内(大森区)
 年代:1933年(昭和8)/制作:植野録夫(東京地形社)/所蔵:芳賀啓

Mind

希少な「久が原」の地。
だからこそ、この地にふさわしい唯一無二を。

デベロッパーが大規模な用地を仕入れて開発した街と違い、それぞれの地主が個人単位で宅地を分譲した久が原には、まとまったマンション用地が出づらいという特徴があります。まさに僥倖ともいえる出逢いを経て始まった本計画。その敷地は、駅近にありながら邸宅街の安らぎを享受する稀有なポジションに位置しています。「個」を重んじる空気の中で、時に前衛的な住まいづくりを愉しんだ街と先人たちに敬意を込めて。私たちはここに「邸宅街にふさわしいコンパクトマンション」という、久が原にかつてなかった価値を創造します。

航空写真
孤高の邸
Personal Sanctuary
大田区 久が原三丁目
ここにしかない時を刻む邸宅街に、
あなたにふさわしい上質を。
外観完成予想CG